2017年6月26日月曜日

麻央さんのニュースで親族の看病について考えさせられました。




子供達と離れて暮らす事に慣れましたが、最近の小林麻央さんの死のニュースには考えさせられました。

もし子供があのような重い病気になったらやっぱり看病に行きたい、と思うのが自然です。

麻央さんの場合はお母さんとお姉さんが都内にお住まいで付き添って看病をされていたようです。

私はもし万が一子供がそんな病気になった時に傍で看病する事が出来るだろうか。

ずっと子供の傍で看病をしたい、と思うのが自然ですが、結婚している旦那さんはそれを私に許してくれるかという事もあります。

例えば娘2の場合は近くに義理家族が住んでいるので、私はそんな時に私の希望通りになるか分かりません。

その為にホテル住まいを長い間するほど裕福ではありません。

看病したいのに出来ないというのは本当に辛いだろうと想像出来ます。

麻央さんのお母さんもお姉さんも十分に麻央さんの看病が出来た事は本当に悲しい別れではあったけれど心残りは無いかもしれません。


私はどうなんろうと、、、ふとそんな事を思うようになりました。



実家の父が亡くなった時、最後の臨終まで丁度日本に子供達の夏休みを兼ねて帰国していた時だったので、短い期間でしたが看病をする事が出来て良かったと思っています。


本当にもう最後と思える頃になると数日前から話す事も体力が必要で一言一言が一生懸命でした。

父は私がいつアメリカに帰るか、と死の数日前にかすれるような声で尋ねてきました。

なので、私がアメリカへ帰る日を知っていました。

その帰る当日の朝に息を引き取りました。

もう自分でこの世に別れる日を決めていたような気がしてなりません。

私がいないお葬式よりも、居て貰ったお葬式の方が良いと思っていたと思います。


麻央さんが海老蔵さんが帰るのを待っていたのでは、、、という感じが会見の様子で窺えました。
麻央さんは息を引き取るのは海老蔵さんを待っていて、伝えたい事を伝えたいという気持ちがあったと確信できます。

ガンという病気は最後の最後まで頭が冴えていると言われます。



ガンの最後は食べられない為にとても痩せてしまいます。

父もそうでした。

それに比べて麻央さんはまだふっくらとしていて、元気そうな写真からまさかその2,3日後に亡くなるなんて思ってもいませんでした。


ご冥福をお祈りします。




もう両親は他界していませんが、子供達はそれぞれの場所で頑張っていますが、人間何時何か何があるか分かりません。


父の場合も臨終数日前の頃になると通いの主治医から、入院か自宅療養かと父の自由にさせてくれて、当然のように父は自宅を選んだのでした。


家族の声を聴きながら家族の傍らで。。。が人間の持つ最後の希望かもしれません。

取り留めのない話でした。