2017年4月9日日曜日

あの頃は栄華のソニー VS 新鋭のSamsungだった


株式投資を始めて自然に政治や社会一般の方へも目が向くので、今まで知らなかった事を今頃になって初めて知る事も多いです。

特に最近の日本の大手企業の衰退は本当に寂しい気分になります。

その中でもソニーはアメリカへ来た頃は前住んでいた北東部の近所に会社があり、大勢の駐在員家族も住んでいて、私も子供を通してもその駐在員家族との交流がありました。

まず、贅沢だなぁ、と思ったのはソニーは駐在家族のために家族全員に日本の好きな雑誌をフリーで取り寄せる事ができる制度がありました。ソニーとなるとアメリカへの貨物船、貨物飛行機にそのような雑誌なども一緒に載せてくるのでそれ程の経費にはならなかったのでは、と思います。また雑誌だけでは無かったようです。

あの頃は一番日本の経済も潤っていた時期だったと思います。

また大勢の駐在員家族が住んでいると、その中でも上司の奥さん、また部下の奥さんと微妙な上下関係もちょっとあったような気がします。

その頃息子の同級生には父親がSamsungの駐在員家族もいました。まだそれ程一般にSamsungは知られていない事もあり、私も全くSamsungの名前も何をしている会社かもよく知らずにいました。

その後どうやらソニーが経営不振で大量に解雇した社員の中にはSamusungへ渡った、という事を知りました。

解雇されたソニーの元社員の優秀な技術力が今のSamusungへの成果に結びついている、という話は本当かもしれない、と思っています。

小学校の頃息子の、父親がSamsungの駐在員の同級生が家に遊びに来たことがありましたが、お母さんが韓国式で甘く煮たサツマイモをお礼の気持ちとして持参してくれたのをよく覚えています。

子供が小さい頃は自分で行動が出来ないので親が子供の友達の家へ車で送り迎えをします。

韓国人は日本人と同じように義理がたい人を偶に見受けます。

結果はどうであれ、今のSamsungの飛ぶ鳥を落とす勢いに比べて、銀座の象徴だった有名なソニービルが取り壊されるとは残念です。その後ソニーパークとして生まれ変わるようですが。

ソニーが衰退への道を突き進むようになったのは社長としてアメリカ人を迎い入れた事がそもそも間違いだったような話もあります。
この社長がまずしたことが大量の解雇だったそうです。その解雇された技術力ある優秀な人材がSamsungへヘッドハンティングされたのでしょう。

確かに北東部に大きな社屋とは別にもう一つあったオフィスビルが、ある時からソニーの看板文字が消えてしまいました。あの頃、同時に多くの駐在員が日本へ帰任したり、解雇されたのでしょう。

その後それはソニーにだけでなく、他の日系企業の駐在員も続々と帰任してあの辺りの日本人が減って行きました。

子供を通して付き合いがあったソニーにお勤めのご主人は丁度運良くアメリカ永住権に当選した直後だったので、帰任命令を蹴ってアメリカで現地就職を果たした方もいました。

しかしどの会社の駐在員も日本本社からの手厚い福利厚生と高い報酬に対して、現地採用者は給料が安くて大変、というのは当時から言われていました。

ソニーも世の中の景気の雲行きがおかしくなったのは、その後だったような気がします。

側から眺めていると福利厚生、高報酬も大事ですがもっと社内の次期商品への投資をして次世代につながるヒット商品を常に生み出す企業こそ生き残れるのでは、と思ってしまいます。

迎い入れたアメリカ人の社長が技術畑の人では無かった事も原因の一つかもしれません。

創立者の盛田さんはどんな気持ちで今のソニーをあの世から眺めているのでしょうか。